有坂夏輝の365日

自分らしく、ときどきゴーイングマイウェイに生きています。

5年間日記を書き続けてやっと気付いた事

私は、ウェブログの他に手帳に日記を書いている。

5年間とタイトルには書いたけど、実際にはもっと昔から書いていた。

だけど、手元に残っているのが、5年前からの手帳だったので、そう書いた。

ときどき、それらを読み返すのだが。

その大半は日記というよりネガティブな感情のはけ口になっていて、それはそれで自分のメンタル悪化の変遷を辿ることが出来て便利なのだが。

時々、

気持ちが落ち込んだ時にこれを読め!

と、未来の自分に向けたメッセージのような日記が出てくる。

楽しかった思い出、嬉しかったこと、心に響く言葉、人から言われて嬉しかった言葉、綺麗な写真や手描きのイラスト。

簡単に言えば「過去の成功体験」を追体験させるよう未来の落ち込んだ時の自分のために仕掛けるというのだろうか。

これから私は人に日記を書く事を勧める時は、

「日記」に書くのは、楽しかったこと、嬉しかったこと、面白かったこと、気に入ったショップやレストラン、カフェなどの情報を書いてもよいね。

気分が落ち込んだときに見返したり、友達とランチなどに行くときに、このお店また行きたいなとワクワクした気持ちになれるような日記にする。

それ以外は、「雑記帳」みたいなノートを一冊用意して、そこに書く。書いたら絶対見返さないこと。ノートがいっぱいになったら捨てる。

雑念、ネガティブな思考は頭からアウトプットして、捨てる!というイメージを自分の潜在意識に刷り込むの。

と。

人にオススメする前に、まずは自分でやらなきゃ。

さて、今日の分の日記はお昼ご飯と晩御飯が美味しかったからその事について書こう。

 

 

〇〇な自分は価値がない。

カウンセリングの経験がないから
カウンセラーとして起業?活動しても
人の役に立てない。

もし、クライアントさんを逆に苦しませて
しまったらどうしよう。

悪い噂はすぐ広まるよ。口コミとか。




と、ホメオスタシスが働いて新しいことに
チャレンジさせまいと心が必死に抵抗中です。




今までの自分の経験を通じて、伝えたいこと
こうして今もグルグルとなやみ試行錯誤しながら
生きる姿をさらけ出すことで見てる人に勇気を
与えたい。


私がカウンセラーとして活動したい理由は、



起業して月30万稼ぐ



事ではなく、





誰にも言えない悩みを抱えた人の話を聞く事で
気持ちが軽くなって、ニコニコ笑顔の人が世界に
一人でも増えてくれたら嬉しい。


ただそれだけです。



自分も沢山の人に話を聞いてもらって
勇気を出して転職して、今の方が収入は少ないし
正規雇用だし、ボーナスも昇給もないけど
こうして好きな事で生きることが出来て幸せ
なんだよーーーー!!!



ってのを何度でも伝えたい。
いろんな形で伝えたい。
声を大にして言いたい。


私らしく
ありのままの自分で生きること
自分の思いを言葉にして発すること

これだけで充分自分は価値のある人間なんだと
少しずつ腑に落ち始めています。


開業届を出すベストなタイミングが訪れるまで、
もう少し、ゆっくり時間をかけて

やりたいこと
やるべきことを


精査していこうかな。

見えない物・事への不安をどう処理するか?

今週、仕事に行って感じた事。

 

普段コンビニを利用しないお客様が昼食を調達に来たり、

カップラーメンをまとめ買いする方がいたり。

 

毎朝おにぎりとおまんじゅうとバニラアイスを買いに来ていた

常連客がパタリと来なくなったり・・・

 

 今週に入って客層がいつもと違うなと。

 

こんな時だからこそ、お客様とのコミュニケーションを大事にしようと

頑張って一人の女性客に話しかけてみた。

 

今秋から小中学校が休校になったらしく、日中仕事で不在の親に代わって

孫を預かっているそうだ。

 

「○○って商品を買ってきてって言われたけど、普段コンビニを利用しないから

何が何だか分からなくて・・・」

 

とそのお客様は言った。

 

いつ終息するか分からない事への不安や、孫の面倒を見る大変さとか、

知らない人にだからこそ話せる事もあるよねと思って。

 

私には子供がいないから、そういった大変さを完璧に共感する事は出来ないけど、

その根っこにある「大変」「不安」「慣れないことをするストレス」という気持ちを

くみ取って、労いや励ましの言葉を掛けられるよう意識している。

 

それで、 少しでもお客様の気持ちが楽になってくれたらいいなと思って。

 

 

色んな情報が飛び交って、テレビを付ければ新しい感染者が出たとか

このイベントが中止・自粛・規模を縮小・・・

 

と、先の見えない不安をあおるような言葉が目に飛び込んでくる。

 

 

正しい情報を求めてついつい、テレビやネットを開いてしまう。

「無くなる」という言葉に不安を感じ、必要以上に物を買いだめる。

 

欲しいものが手に入らないストレスは普段感じているものの何十倍も強いものだという事を

私は東日本大震災原発事故による物資不足を通して嫌と言うほどに経験した。

 

ストレスは一種の刺激。

刺激を受けている間は脳がそれを防衛反応として処理するので、一時的に興奮状態となり

感覚が麻痺した状態になる。

 

周りの人の事を考えず、スーパーに車で猛スピードで侵入したり、お一人様なん個までと

限られているものを何回もレジに並びなおして購入したり。

 

モラルとかマナーとか、そういったことが考えられないくらい。

 

 

ストレス体制は人によって異なるので、一概にこうとは言えないのだけれど、

長い時間ストレスにさらされたカラダとココロは必ず何かの不調を訴えてくるはず。

 

それがいつ、どのような形で出てくるのか分からない。

運よく今の状況を切り抜けられたとしても、その後に待っているのはまた同じく

「原因不明の身体の不調への恐怖」だ。

 

 

 

大事なのは、自分達が今出来ることを精一杯やる事。

 自分1人の力でどうにもならないことに不安や不満を募らせるのはストレスが増すだけ。

 素人の推測や憶測より、専門家の意見を率直に受け止めて、

前向きに考える事が終息への近道なんじゃないか?

 

不要不急の外出を控える時期だから 普段出来ない家の掃除とか断捨離とか、

いつもより時間をかけて丁寧にやるとか、本を読むとか、

ちょっとだけ手の込んだ料理をつくるとか、ゆっくりお風呂に浸かるとか、

そういう事に時間を使って心を穏やかに過ごせたら健康的では?

 

それでも不安やイライラを感じるときはノートや手帳に書く。

パソコンやスマホだと余計な情報を「つい」見てしまうので、紙に書く。

外からの情報を一切遮断して、紙と自分の心にしっかりと向き合う。

 

これは、私が仕事先でお客様から理不尽な怒りをぶつけられたときに

作った画像です。

 

見えない不安、知らないところから間接的に迷惑を掛けられた。

と、理不尽さを感じた時、この言葉を思い出して心を落ち着かせる事が

出来たらいいなと思います。

 

 

 

 

自己肯定するという事を模索しています。

よくオットから

 

「(はっちは)基本ネガティブ思考で、何でも否定から入るよね」

 

と言われる。

 


今まで、私の理解は「人の悪口を言わない。批判しない。」

だと思っていた。


だから、思っていても口に出さなきゃ良いんでしょ?

って思っていた。

 

 


その解釈をしている時点で、私は相手の考えを否定している事になる。

 


きっとオットは私が人間関係に悩み、

日々の生活にストレスを抱えている事が私の考え方にあると理解していて、

 

 

 

「(そうならないように)考え方を改めた方がいいよ」

とアドバイスしてくれたんだと思う。

 

 


しかし私はオットのアドバイスを「価値観の押しつけ」であり

「自分を否定する言葉」だと受け取ってしまい、

オットの言葉に耳を傾ける事が苦痛になっていた。

 

 

 


結果、他愛もない話すら聴くことが出来なくなり、

「人の話を聞いていないよね?だから人間関係が上手くいかないんだよ」と、

叱られ「あぁ、また否定された。私の事、何も分かっていない。」
小さな怒りやストレスを蓄積するようになった。

 

 


定期的にそれらは私の我慢のキャパを超え、怒りの大爆発を起こし、

本当はやりたくない”言い争い”に発展する。

 

 


頻繁にそういう事があると

 

”オットと一緒にいるとまた文句(本当は愛のある注意なのに)

言われるんじゃないか?”

 

と自分とオットの言動を常に監視し始め、

オットといる時間がストレスに感じるようになった。

 

 


オットの言葉の意味と、それを私に言う目的を正しく理解しようとせず、

「オットから自分の考えを否定されている」私は、

 

 

オットの機嫌を損ねないよう、

オットの言う事に従うという、

被害者の自分を作り出していた。

 

 

 

という事に気付かず、

 

 

 

「どうして私の事を認めてくれないの?私が人と違うから?」

 

という想いを頭の中で廻らせた。

 

 


今という時点で考えると、

「人と違う」と言うような事は面と向かって言われたことがない。

 


幼い頃にそう言われてイジメられたという過去の時点の記憶が、

「みんな私を否定する、バカにする、変なものを見るような目で見てくる」

という妄想を作り出していたのだ。

 

 

 

それを現実世界に投影していただけなんだ。

 

 

 

今、ここに立っている私の周りに悪者は誰一人としていないかった。

 

 

 

・・・私の方がオットに対して最低なことをしてきたんだ。

 

 


オットから言われたことを理解し、

素直に受け入れられるようになり、且つ、

 

自分がハナから相手を拒絶している
(相手に興味を持たない、話に耳を傾けない・感情や考えに共感しない)

 

 

と言う事実を認めることが出来た。

 

 

 

これは、自分でも自覚していた事なんだけど、

いつも人と話していてリアクションが薄い自分がいた。

 

 


”女の子のようにキャピキャピする事が嫌いだから”という理由で

片づけていたけれど、真の原因はそこではなかった。

 

 

 

私は、自ら自分の周りに壁を作り、

人を拒絶していたのだ。

 

 

 

そんな、分厚い壁の内側で、人から好かれない、

人が寄ってこない、と悩みながらも、

そんな雰囲気を醸し出している私に話しかけてくれる、

連絡をしてくれる人がいる。

 

 

こんな私を少しでも大切に思ってくれている、

好意を持ってくれているという事なんだ。

 

 


おいおい、誰からも好かれないってものすごい勘違いしてたよ。

 

 


今まで私がしてきたことは、

こんな近寄りがたい私に勇気を出して(?)来てくれた人達の事を

真っ向から拒否してきたって事になるんだ。

 

 

 

オット相手に私は壮大なコントを繰り返してきたんだ。
オットに本当に申し訳ない事をしてきたんだと、心から謝りたい。

 

 


そして、何度も何度も話し合いに付き合ってくれて、

その度に沢山悩んで考えて私に合った答えを用意してくれて本当にありがとう。

 

という気持ちをちゃんと伝えてこよう。

 

 

 

そして、他愛もない会話で私の壮大なコントを

終わらせるきっかけを作ってくれた職場の後輩ちゃんにも感謝。

偽りの自分を手放して、本来の姿で生きる。

なぜ私が偽りの自分ではない、
ありのままの、
素っ裸の自分をさらけ出すようになったのかって?
 
 
 
私と同じように、または別な形で
自分を偽って生きている人たちに私の姿を見て、

 

自分を偽らなくても大丈夫なんだという安心を与えたいから。

 
 
 
私も沢山の人達に助けられたり勇気をもらったから、
どん底を抜け出した今、
今度は私が苦しんでる人を助ける番だと思ってるの。
 
 
 
私は、自分のことを私という存在として認識している、
いわゆるXジェンダージェンダーレスという人で、
どの性別やセクシャリティの枠にも当てはまらない。
 
 
 
 
恋愛対象も、性別関係なく好きになった相手が恋愛対象。
 
 
 
 
 
ということに気づいて、
 
 
 
本当に自分で在る事が肯定的に考えられるようになった。
 
 
人間性という面ではまだまだ足りないところが多いけど、
私という存在をやっと受け入れられた。
 
 
 
 
そして、幼い頃から「他人と違う事で排除されてきた」事を、
ようやく許せるようになった。
 
 
 
 
 
マイノリティという生き方を、
個性としてごく当たり前な生き方に変える事の素晴らしさと
楽しさを伝えていきたい。
 
 
 
 
 
そう思っています。
 
 

「やりたい事が分からない」「こうしたい・・・でも」って感じた時。

やりたい事をやる
やりたく無いことを手放す
新しい船に乗る時が来ています

日常の、ほんの些細な事の中にあなたのやりたいことは

ありませんか?

まずはそこから始めましょう

 


1/3に降りてきた言葉。

 


そして、仕事始めの朝にテレビで見たのが82歳で

アプリを開発・リリースしたという女性のお話。


60歳で定年退職してからパソコンを学びはじめたという

彼女の姿を見て、とてもワクワクした。

 

 


常に好奇心旺盛でありたい。
性別・年齢・才能・貧富関係なく、

やりたい事にチャレンジしていいんだ!

 

やりたい!と思った事は衝動に任せてやってみる☆

それが願望実現への近道♪

 

才能ある・なし。関係ない♪

自分が楽しい♪幸せ♪って思えればALL OK!

 

 

という心の声が聞こえた。
こんなに積極的な声を聴いたのはいつぶりだろうか。

 


しかし、そんな心の声を多動な思考が全部と言っていいほど

否定や反対をしてくる。

 

私の心は自由を奪われている状態になっているという事に気づいた。

 


この数日間、毎日のように原因不明の吐き気に襲われた。
心の声を抑え込んでいるから、苦しくなったのだろう。

 


オットに泣きながらこの話をしたら

「って、考えてる間にやりたい事やればいいじゃん。」

と言われ、私の心に雷に打たれたような衝撃が走った。

 

と同時にやりたいことがどんどん出て来た。

 

 

 

そして、こんな言葉が降りてきた。

 

 


多動な思考に勝つためには、やりたい!と思ったら

即行動あるのみ!

 

1日でやりきれないことは予定に入れちゃう。


見たいテレビ番組の放送時間がかぶった時に録画予約するように、

未来のやりたい事を予約しちゃう。
未来に楽しい事を予約する。もうワクワクしかないじゃん!


予約しちゃえば、あとは勝手に録画が始まるわけで、

そこに思考は一切関係なくて、必要なくて。

 

 

だから、やりたい事、未来もそんな感じで設定しちゃえば良いんだ♬

 


多動な思考に邪魔されないために、私は敢えて「手で書く」という手法をとる事にしました。

 


PCやスマホに入力する=思考 

紙に思いつくままに書き出す=心の声 ってイメージです。

 

 

あとは、喜怒哀楽の感情を否定せず都度出し切るという事を心掛けようと思っています。

 

これは、長年に渡っての課題なんだけど。

 

 

 

 

 

独り言でも良いし、誰かに話しても良い。

「こいつ変な奴」って思われても良い!

 

 

 

 

これが私なんだもの。
これが私の生きる世界なんだもの。

 

 

 

我慢して爆発させると、体力も精神力もかなり削られるし、だったら小出しに喜怒哀楽表現した方がいいじゃん♪

 

 

 

リアルタイムに感情を表現出来たらとても楽しいじゃん♪

 

 

美味しいものを食べておいしい!と言ったり。
可愛いものを見て可愛い!と言ったり。
嫌なことがあったらむかつくー!と言ってみたり。

 

 

いつまでも引きずらなくて済みそうだし、なんかスッキリしそうじゃない?

描きたい と言う願いを叶えた。

絵を描きたいと言う自分の心の声に従って去年の日記帳の表紙絵を描きました。
 
 
下手くそって言われるのが怖い
そして、模写?は出来てもオリジナルが描けないのに絵を描いて良いのだろうか?
 
と言う気持ちが長年私の中で絵を描きたいと言う欲求を禁止して来た。
 
でも、自分の心の声に素直になるって決めたから、描いた。
 
{ACAA5CC4-7A56-44EE-998E-89575B2C62D3}
 
 

こちらの絵を模写に近い絵ですが、絵を描くと言う願いを叶えることができ、とてもいい気分になりました。

{59860F5B-305C-44DB-8085-969B1F53B1A6}
 
 
描いている間、嫌な事全部忘れて無になれた。
この感覚を覚えておこうと思いました。