有坂夏輝の365日

自分らしく、ときどきゴーイングマイウェイに生きています。

都合の良い人から適材適所な人へ。(アンサーブログ)

こちらの過去記事へのアンサーブログです。

 

hach365.hatenadiary.com

 

 

生活していくうえで、人と一切かかわらずに生きるというのは無理な話で、
今私の周りにある人間関係って、直接的・間接的にすべて「必要だから」存在している。

 

 

 

良い悪いは別として「人間関係」が存在している時点で、自分が全く必要とされていない(相手の中に自分が存在していないという意味)
という事は無いわけで、一人ぼっちと感じる時は「相手の中に自分は存在しているけど今は自分の出番ではない。」という事。

 

 

 

分かりづらいかもしれないけど、病院に例えると。

 


風邪をひいたら内科
歯が痛くなったら歯医者
骨が折れたら整形外科


の診察を必要として病院に行く。

 


必要とされた医者と診察を通して「人間関係」が始まる。
治れば行く必要がなくなり、医者とのつながりもそこで(一旦)終わる。


また、具合が悪くなったら同じ病院に診察を受けに行く。


という事。

 

 

歯医者に行って風邪を治せというのと同じで、自分に出来ない事を相手から求められてもお互いに困ってしまう。
だから、適材適所。状況や場面に応じて、関わる人を変えるのは何らおかしい事ではない。

 

 

私の場合それを「おかしなこと。あってはならない事。」と認識していて、

自分から必要に応じた人間関係を選択する事をせず、
常に受身な人間関係になっているのだ。

 

 

 

そういう人間関係の中から自分にとって「かかりつけの人」を見つけ出す事しか出来ず、限定的で依存度の高い人付き合いに発展していく。

 

 

 


その中で、次第に高まっていく独占欲は相手から「状況と場面に応じて人と関わる権利」を奪う事になるので、たいていの場合は向こうから離れていく。

 

 

 


幾度となく繰り返してきた過ちを、自らが「発達障害」である事に気付いた事で、ようやく合点がいった。

 

 

 

 

 

 


ようやく、がんじがらめに縛られてきた事から解放された・・・