はっちnote

流行りや人に流されず、どこまでもマイペースに、ときどきゴーイングマイウェイにいきています。

日々変化するという事

日々、気持ちや行動が変化すること。

 

 

 

「芯がない」

軸がぶれている

 

 

 

 

と思っていた。

 

 

 

 

 

 

サブカルの世界では、「自分の軸(こうと決めたらそれを貫き通す事)で生きる」事を推奨していて、私もそれを信じて生きてきた。

 

 

 

 

 

 

 

周りにも「ブレない」「変わらない」のが当たり前と信じている人達がたくさんいるから、その中にいれば安心だと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブレない、変わらないと信じて疑わなかった自分の世界に反し、世の中はめまぐるしく変化していく。

 

 

 

 

 

自分の周りで「変化」が起きると「裏切られた」と感じ、と同時に強い不安感に襲われる。

 

 

 

 

 

変わってはいけないのに、変わってしまった。

(自分ではどうにも出来ない事なのに)何とかしなければいけない。

 

 

 

 

 

変わったものには「感謝します」「許します」「受け入れます」と唱え思い込むことで自分の信念を貫き通した。

 

 

 

 

 

 

変わってはいけないから、人を監視し自分を監視しなければいけない。

自分の信念に反するものを見つけると、怒りの感情が沸き起こり、変わったものをもとに戻すよう、支配と執着が始まる。

 

 

 

 

 

なんて生きづらいんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「自己満足」していないではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を満たす

 

 

 

 

 

 

 

という事は、自分の都合の良いように考え行動することばかりではない。

時には、自分が許せないと思っていることを「まぁいっか」と許すことではじめて満たされることもある。

 

 

 

 

 

 

 

苦しい・つらい

 

 

 

 

から、解放してあげる事が自己満足に生きる近道なのかもしれない。

 

 

 

ほぼ日刊イトイ新聞 「今日のダーリン」より

 

http://www.1101.com/home.html

 

 

・「変わらない」ということについて、人は、
それをなにか立派なことだと考えやすい。


「ふたりの愛はいつまでも変わらない」であるとか、
「あの人は、変わらないねぇ」であるとか、
そうありたいという気持ちを込めて言うし、歌う。

 

しかし、あらゆるものごとは変わりながら動いている。


変わらないとか、変わろうとしないというのは、
不自然にそういうふうにしなきゃ成り立たないことだ。

 

自説を絶対に押し通そうとする人が集まる会議がある。
政治の世界のテレビ中継なんかを見ていると、
なにがなんでも勝とうとしている人たちばかりだ。


相手の意見より、じぶんの主張を認めさせようとして、
ただただぶつかり合っているように見える。

「それもそうだな」だとか「あ、そこはたしかに」とか、
日常ではよく聞かれるようなセリフは、まったくない。


相手を認めないというだけでなく、
相手の意見も認めないというのが当たり前になっている。
そういう場所では、じぶんが「変わる」ということは、
そのまま敗北したということになるのだろう。

 

「変わらない」相手といっしょにいる時間ほど、
たいくつなものはない。


だれか、他人と同じ場にいるということの、
いちばんのたのしみは、
その新しい場にいることで、
いままでのじぶんが少しでも変わることだと思うのだ。


そこにいたからこその発見があるから、
じぶんでない人といっしょにいることは、おもしろい。
妥協だとか、調整だとか、駆け引きだとか、
あんまりいい言われ方はしないけれど、
どちらもが変わることで成立する、その場の答えがある。
そのおかげで、おおぜいが生きていられることになる。


こんなことも、「変わる」のおかげなのだ。 
「変わる」ことこそ、自然で、おもしろいことだ。

実は「変わろう」とするためには、いい方法がある。
口よりも、耳を開いていること、つまりよく聞くこと。
口が開いている間は、耳が閉じやすいのだ。

 

 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
 頑固や拘りがおもしろいのは、おもしろがる人のおかげだ。